太田勝洪記念中国学術研究賞について(略称 太田記念賞)
2004年 3 月27日,元中国研究所理事長(1992~98年),日本現代中国学会理事の太田勝洪
(かつひろ)法政大学教授が急逝された。享年68歳。遺族の太田博子氏が故人の遺志を汲んで、「現代中国研究の発展のために」と中国研究所に多額の基金を寄贈された。中国研究所はこれを受けて、日本現代中国学会の参加も得て、「太田勝洪記念中国学術研究賞」を創設することとした。
 
 太田勝洪記念中国学術研究賞規則(2004年10月25日制定)
1.趣旨: 元中国研究所理事長,日本現代中国学会理事故太田勝洪氏の遺志をうけて,「現代中国研究の発展のために」と遺族が中国研究所に寄付された基金を活用して,当年の優秀な中国研究論文を選定して,表彰するものである。
2.対象 :当年間発行の『中国研究月報』,『中国年鑑』および『現代中国』所収の諸論文。
3.優秀論文表彰者には賞状および賞金10万円を贈る。
4.運営委員会は同賞の運営全体を管理する。運営委員会は中国研究所理事会,委員長は中国研究所理事長がこれに当たる。
5.論文審査委員会は中国研究所編集委員会および日本現代中国学会の代表によって構成する。おおむね年初までに審査を終了し,候補論文を選定し,運営委員会に報告する。
6.同賞の発表は中国研究所新年会において行う。                    
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2021年授賞作品(第18回) 

 

小栗宏太「不協和音――香港逃亡犯条例改正反対デモに見るポピュラー音楽と抗議運動」(『中国研究月報』2021年2月号) 

 

【推薦理由】

 小栗論文は、倉田徹による特集「「逃亡犯条例改正反対デモ」と香港社会――当事者性へのアプローチ」に採録された論文であるが、2019年の逃亡犯条例改正反対デモにおける歌と歌手をめぐる論争を取り上げ、この「共通体験としてのポピュラー文化」という既存の分析を今日の香港の状況に照らして再検証すべく、それを返還後香港におけるポップカルチャーの消費とアイデンティティーの関係の中に位置づけて考察したものである。その結論は、「香港のポピュラー音楽と抗議運動との関係は今や単純な協調とも不和とも言い難い不協和音」だというものである。
 香港の民主化運動、あるいは反政府運動とポピュラーカルチャー、なかんずく音楽との関係は実のところ新しい課題ではなく、これまでも多くの研究者やジャーナリストにより扱われてきた。だが、小栗氏は「返還後の香港エンターテイメント産業の凋落と大陸と香港との経済的政治的関係の変化を背景とした中港間の矛盾の顕在化により,ポピュラー音楽の消費にも政治的分断が見られるようになっている」として、香港のポピュラーカルチャーをめぐる状況が引き裂かれ、それぞれの主体的選択によって複雑な様相を呈していることを描き出そうとした。その具体像は以下のようなものである。
 第一に、香港返還後、中国の周辺に位置しながらもポピュラーカルチャーの発信地として中国に対して優位性を持つがゆえに中国進出を目指したエンターテイメント業界は、中国の経済発展などに伴ってその優位性を次第に喪失し、むしろ中国側に配慮するようになり、逆に利用されるようになっていった。この「新北進想像」という現象により、中国の価値とローカルな価値との間に衝突が生じた。多くの「大物」歌手、俳優らが中国寄りになる中で、グローバルな空間に結びついた「ローカル」な香港の価値に寄り添う歌手、俳優もいた。このようにしてエンターテイメント空間は政治化した。
 第二に、必ずしも政治を意識したわけでもないものも含む、返還前の「黄金期」のカントポップ、すなわち「伝統」もまた政治化したエンターテイメント空間の中で再解釈された。Beyondの「海闊天空」がその典型だが、選択的に伝統期の音楽が運動に「動員」され、そのシンボルとなっていった。
 第三に、グローバルに開かれた香港のエンターテイメント業界の特質を反映するように、また大スターたちが中国寄りになる中で、世界にその立場を発信する意味でも、外国の音楽、ポップカルチャーが運動のシンボルとして動員されていった。ここには英語のものもあるが、日本のポップカルチャーも含まれる。本稿の題名にある「不協和音」もまた、抗議運動のリーダーの一人だった周庭が拘置所の中で歌っていたという日本のアイドル歌手グループ「欅坂46」の歌のタイトルである。
 本稿は、極めて多くの文献に目配せを行いながら、香港の民主化運動、あるいは反政府運動とポピュラーカルチャーとの関係について、単にそこに関係があるというだけでなく、主体者により多様に選択される複雑な状況があること、それが香港の特性に基づくものであることを描くことに成功した。本編集委員会は、こうした点を高く評価し、第18回太田勝洪記念中国学術研究賞を授与するにふさわしいと判断した。

               『中国研究月報』編集委員会

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2020年授賞作品(第17回)
 
片山ゆき「医療保障をめぐる官民の攻防―ITプラットフォーマーによる新たな医療保障の提供」(『中国研究月報』2020年4月号)
 

【推薦理由】
 片山論文は、高齢化の進む中国での医療保障をめぐる状況が、デジタル化という新たな社会環境の中でいかに変化したのかということを、アリババグループ傘下の金融子会社による「相互宝」に注目して考察した。そして、社会保障制度構築が喫緊の課題となり、また財政支出面でも負担増が想定される中国において、こうした民間の提供する保障には、農民工などの公的保障では包摂しきれない層を取り込む新たな可能性があること、すなわち新たな公私ミックスが育まれようとしていることを析出している。だが、同時に片山氏は、これはあくまでも「結果的」な事象に過ぎず、「相互宝」なども「全ての国民を対象としているわけ」でもないし、またそれへの加入やサービスの可否も運営主体たるアリペイにより決定されており、国民の権利たる社会保障とは言えない、との課題を指摘する。つまり、民間による医療保障が公的保障の手が届かない部分を補う効果を有してはいるものの、社会保障とは必ずしも言えない、というのである。
 この論文は、澤田ゆかり氏による特集「社会保障における多元主義の台頭と課題」に採録された論文だ。片山論文は、この特集のタイトルにある社会保障における多元主義のありようと、その課題を的確に描き出したものだと言えよう。また、澤田氏が指摘するように、社会保障における多元化という論点は、中国研究にとってなじみのあるものだ。すなわち、歴史的にみて、中国では官による統治は基層社会にまでは行き届かず、「民間」の中間団体などが国家・社会間の緩衝帯となって秩序維持に大きな役割を果たしてきたことが知られる。中央政府の提供するサービスが補いきれない領域を民間が補うという点で、本論文の指摘した内容は、中国の歴史的なコンテキストからも理解可能だ。他方、これも澤田氏が指摘するように、社会保障における「公私ミックス」は日本も含めていわば世界的に見られる潮流であり、むしろ中国の事例が先進的で、そこでの課題は他国も参考にできる要素をも合わせ持つ。
 本論文の意義は、中国の社会保障に関する先端的な研究であるという点や、中国研究としての奥行きがあるという点だけではない。「相互宝」に見られるような新たな現象を、単に中国的特殊事情として描くわけでも、また逆に社会保障論の事例研究として描くわけでもなく、両者のバランスを保ちながら叙述したこともまた、本論文の高く評価できる点であろう。
                『中国研究月報』編集委員会
2019年授賞作品(第16回)
周俊「中華人民共和国建国前夜における幹部の南下動員に関する考察―華北地域の農村・都市部の比較から」(『中国研究月報』2019年10月号) 
 
2018年授賞作品(第15回)
古川ゆかり「中国における中間所得層の高齢者福祉の行方―浙江省仙居県域の事例より」(『中国研究月報』2018年11月号)
2017年授賞作品(第14回) 
団陽子「中華民国の対日賠償要求と米中関係―日本海軍の残存艦艇処分問題を中心に」 (『中国研究月報』2017年11月号)
2016年 授賞作品(第13回)
金野純「文化大革命における地方軍区と紅衛兵―青海省の政治過程を中心に」 (『中国研究月報』2016年12月号)
2015年授賞作品(第12回)
テグス「1960年代中国におけるモンゴル語の語彙問題―「公社」「幹部」の表記問題を中心に」(『中国研究月報』2015年10月号)

2014年授賞作品(第11回)

前野清太朗「19世紀山東西部の定期市運営をめぐる郷村政治―孔府檔案からの検討」(『中国研究月報』2014年2月号)

 

2013年授賞作品(第10回)

津守陽「「におい」の追跡者から「音楽」の信者へ―沈従文『七色魘』集の彷徨と葛藤」(『中国研究月報』2013年12月号)

濱田麻矢「遥かなユートピア―王安憶『弟兄們』におけるレズビアン連続体」(『現代中国』第87号)

2012年授賞作品(第9回)

杉谷幸太「『青春に悔い無し』の声はなぜ生まれたか―『老三届』の世代意識から見た『上山下郷』運動」(『中国研究月報』2012年10月号)

 
2011年授賞作品(第8回)
鹿錫俊 「ヨーロッパ戦争開戦前後の蒋介石―日記から読み解く中国当局者のシナリオ」(『中国研究月報』2011年8月号)
菅原慶乃 「越境する中国映画市場―上海からシンガポールへ拡大する初期国産映画の販路」(『現代中国』第85号)
 
2010年授賞作品(第7回)

篠崎守利「『紅十字会救傷第一法』,訳出と再版の意味するもの」(『中国研究月報』2010年7・8月号)

杜崎群傑 「中国人民政治協商会議共同綱領の再検討―周恩来起草の草稿との比較を中心に」(『現代中国』第84号)

2009年授賞作品(第6回) 
石井弓「日中戦争の集合的記憶と視覚イメージ」(『中国研究月報』2009年5月号)


2008年授賞作品(第5回)
堀井弘一郎 「汪精衛政権下の民衆動員工作―『新国民運動』の展開」(『中国研究月報』2008年5月号)    
朴敬玉「朝鮮人移民の中国東北地域への定住と水田耕作の展開―1910~20年代を中心に」(『現代中国』第82号)


2007年授賞作品(第4回)
大川謙作 「ナンセン(nang zan)考―チベット旧社会における家内労働者の実態をめぐって」(『中国研究月報』2007年12月号)
日野みどり 「1970〜80年代香港の青年運動―『新青学社』とその活動を通じて」(『現代中国』第81号)


2006年授賞作品(第3回)
三船恵美 「中ソ対立期における中国の核開発をめぐる米国の戦略批判の系譜 ―1961年~1964年における 4 パターンの米中関係からの分析視角」(『中国研究月報』2006年8月号)
 

2005年授賞作品(第2回)
砂山幸雄「「支那排日教科書」批判の系譜」(『中国研究月報』2005年4月号)


2004年授賞作品(第1回)
篠崎香織 「シンガポールの華人社会における剪辮論争─異質な人々の中で集団性を維持するための諸対応」(『中国研究月報』2004年10月号)
北川秀樹「中国における戦略的環境アセスメント制度」(
『現代中国』第78号)